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正しくあろうとしすぎていた

子育てをしていると「正しくしなきゃ」と思う場面が想像以上に多くあります


間違ったことをさせないように

遠回りしないように

将来困らないように

みんなと同じようにできるように


気づけばその「正しさ」を守ることに 必死になっている自分がいました


でも、あるときふと思ったのです


この関わりは子どものためだったのか?

それとも、不安な自分を落ち着かせるためだったのか?


正しくあろうとするほど 

声は少し強くなり 説明は長くなり 待つ時間は短くなっていきます


「違うよ」「さっきも言ったでしょ」「ちゃんとやろう」


そんな言葉の奥にあったのは 子どもを思う気持ちと うまく育てなきゃ という焦りでした


見守る、というのは何もしないことではありません


手を出したくなる気持ちを ぐっとこらえること

正解を教えたい気持ちを 一度胸にしまうこと


そして、失敗しそうな背中を不安を抱えたまま見つめること


正直に言えば、見守る方がずっと難しい


でも正しさから一歩離れたとき 子どもの表情が ふっとやわらぐ瞬間がありました


うまくできなくても、怒られない

急かされない

そばにいてもらえる


その安心が、次に進む力になっているように見えたのです


親だって、いつも正しくなんていられません

迷いながら 揺れながら その都度、関わり方を探していく


見守るというのは、完璧な親になることではなく

一緒に立ち止まる勇気を持つことなのかもしれません


正しくあろうとしすぎていた自分に、少し気づけた日


それは、子どもを信じる一歩目だったように思います

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